病気で大変な思いをされているのはわかっていましたが、12日の朝の梅宮辰夫さん死去のニュースは、あまりに急でショックでした。
若い頃は銀幕スターとして活躍し、最近はバラエティーでも人気の梅宮さんは、
6度のがんを経験し、現在は週3回の透析を行っていたそうです。
娘のアンナさんも、これまでブログで病状や治療の様子をたびたび報告していました。
父親が亡くなった12日の夜、アンナさんが心境をブログで語りました。
その内容などをご紹介したいと思います。
梅宮辰夫 死去 / 釣りがしたい / 20日に自伝発売
12日に死去した梅宮辰夫さん(享年81)
事務所によると、12日午前3時過ぎ、神奈川県の真鶴町の自宅で就寝中に息をしていないことに気づいた妻のクラウディアさん(75)が119番。
病院に運ばれ懸命な蘇生措置が取られましたが、東京からアンナさんや孫の百々果さん(17)が駆けつける中、午前7時40分、眠るように息を引き取ったそうです。
クラウディアさんやマネージャーによると、最後は穏やかな顔だったそう。
晩年は闘病生活が続き、今年1月には6度目のがんとなる尿道がんの手術で左側の腎臓を摘出。
2月から人工透析を週3回受けていたんだそうです。
それでも料理を楽しんだり、今月10日には地元の釣り仲間との忘年会に出席。
亡くなる前日も4時間の透析を受け、マネージャーが運転する帰りの車で「天気いいな。釣りがしてえ。久米島にいきてえな」と、
かつて友人や家族とよく行った久米島に思いをはせていたそうです。
梅宮さんは1958年、東宝にニューフェイスとして入社。
主演映画「不良番長シリーズ」が大ヒットし、「仁義なき戦い」で存在感を発揮するなど、昭和の銀幕スターとして活躍。辰兄(たつにい)の愛称で人気に。
若い頃は「夜の帝王」と異名がつくほどのプレイボーイぶりでも注目を集めていました。
80年代後半からは趣味の釣りや料理を生かしてテレビでも活躍。
「食いしん坊!万才」や盟友の故・松方弘樹さん(享年74)とカジキ釣り大会に出場されたり、
娘のアンナさんのパパとしてもバラエティーで存在感を発揮してお茶の間で広く親しまれました。
近年はお笑いトリオ、ロバートの秋山竜次さん(41)の「体ものまね」で若者の間でも梅宮さんの人気が浸透したということですが、
「芸能人格付けチェック」などで十分人気だったような気がします。
梅宮さんも、ダウンタウンの浜田雅功さんのおかげで、若い人に知ってもらえてうれしいと喜んでいたそうです。
もう見られないなんて寂しいです。
梅宮さんは今年7月「やすらぎの刻(とき)~道」(テレビ朝日系)で1年10カ月ぶりに俳優復帰されていました。まだ未公開のシーンがあるそうですが、これが遺作となってしまいました。
また、20日には自伝「不良役者 梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚」(双葉社)が発売されるそうです。
週刊誌「週刊大衆」2018年1月29日号から今年10月7日までの連載をまとめたもの、高倉健さんや松方弘樹さん、自身の役者人生やアンナさんへの思いなどが綴られているということです。
13日(本日)に書店関係者にわたすため直筆サイン本20冊を用意する予定だったんだそう。
今回のことは本当に急だったんですね。
梅宮辰夫 死去 / アンナ 心境をブログで綴る
梅宮アンナさんが、12日午後11時半頃、ブログを更新し父への思いを綴りました。
今までもブログで梅宮辰夫さんの治療の様子や病状などをたびたび報告していたアンナさん。
12日は明け方に都内を出て、午前7時ころ梅宮さんが救急搬送された神奈川県の病院に駆けつけて、梅宮辰夫さんの最期をみとりました。
皆様へ
本日12月12日、早朝 真鶴宅にて、
父、梅宮辰夫は、静かに息を引き取りました。。
享年81歳でした。。
この数年は、病との闘いでした。。
家族皆んなで、日々最善を尽くす毎日でした。。
父の変わりゆく姿に何度も泣いた。。。
父、本人も苦しい想いをしつづけて。。。
沢山色んな事を感じました。。
伝えたい事も沢山あります。
今は、きちんとした言葉が見つかりません。
皆様の前に出て、マイクを向けられて、
きちんと、理路整然と話すには、
少し時間が必要だと思いました。。。
少しだけ時間を頂けると幸いです。。
気持ちに整理が出来ましたら、
この壮絶だった日々についてインタビューを受けようと
思います。。
皆様からの温かいお言葉は、有り難く頂戴いたしました。。
父と交流のあった、皆様。。
父の事を取り上げてくださったメディアの皆様。。
本当にありがとうございました。。
最期まで、心配をしてくださったファンの皆様。。
心より感謝いたします。。
本当に、ありがとうございました。。
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梅宮辰夫 死去 / アンナ 心境をブログで綴る:世間の反響は?
「私も最愛の父親を亡くした時は辛くて、自分も父親のところに行きたいと泣いていましたね、1年くらいは。私は26で、父親は59でしたが、、癌で闘病の末、余命3ヶ月と告げられ、本人の希望で自宅に帰り、私が終末介護しましたが、、壮絶でした。」
「ホントキツイ…
ショックすぎる。
でも、ここしかないというタイミングと残される妻と娘に迷惑を掛けない形で全てを終えて逝かれたという印象ですね。
透析って本当にキツイんです。遠い親戚が亡くなったのも透析を行なった日の夜。やはり眠ったまま亡くなられた。透析を行う日は、フルマラソンを走った後ぐらいに疲れてしまい、帰宅後に数時間の睡眠を取らないと動けないそうで、心臓が弱ってるとそのまま亡くなってしまうケースも多いんだそうです。」
「器の大きいお父さんだったなぁ。
画面からも人柄の良さがすごく伝わっていた。
みんなから愛された梅宮さん。
親近感ありすぎて家族を失った感じ…涙」
「アンナさんが心配だったからこそ
長寿を得られたと思う
アンナさんが優等生で一切心配がなかったら
生きる張り合いがなかったのでは?
最後の最後まで娘を溺愛して
幸せだったと思う
モラルとか正否ではなく
素敵な親子関係だと思います」
「アンナさんと愛する奥様が居たから6回のガンを乗り越えられ81歳の生涯を終えられたのだと思います。」
「親を亡くした時には、想像を絶するほどにショックを受けたり、
無気力の鬱状態になることも多い。いろいろあったが、今は本人が
望む通りにしてあげるべきだろう。」
「梅宮辰夫が大事に大事に育てたアンナ。
アンナは色々破天荒だけど、みんなに愛されてるよ。その地盤を作ったのは梅宮辰夫他ならない。とてもすばらしい親子関係だったと思う。
アンナ世代の私まで泣けてくる。
銀幕の大スターだった時代より、アンナ擁護時代のが印象に残っている世代ですが、梅宮辰夫って無駄にカッコつけたりせず、さらけ出して家族を守って、ほんとかっこいい。
太くけして短くない人生、すばらしい男の生き様だったと改めて感じます。」
私も似たような経験をしているので気持ちが痛いほどわかります。日に日に弱っていく姿をみるというのは本当に辛いですよね。そう思っている人はたくさんいると思います。時間が癒してくれるのを待つしかないのかなと思います。
アンナさんは父親の闘病生活に寄り添い、ご両親を支えるために看病や介護を頑張ってきたので十分親孝行はできたと思います。そう思ってもやりきれないのもわかります。
年齢だけを考えると長生きだったと思いますし、人はいつか旅立つとわかっていても実際はそう簡単には受け止められないですよね。今は泣くことしかできないんじゃないかなと思います。
そして、日本中でこんなに多くの方が悲しむという梅宮辰夫さん。どんなに愛されていたかわかります。いつの日か楽しいお話ができるといいですね。
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